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圓立寺の歴史
圓立寺足利家ご先祖は、高松から新谷藩主加藤家にお嫁に来られた方の後見人として、光源寺に入寺されました。
その光源寺が失火により廃寺(光源寺の次号は明治維新後に、鹿児島県の桜島付近に開寺された寺に移りました)となり、 その後、新谷藩より圓立寺に地蔵尊の土地一万六千坪と三百石が下附されることとなりました。
足利家先祖と家臣を弔う為に、長浜に現在の圓立寺、足利寺を建立されました。 当時の地図には、圓立寺(足利寺)一帯は右京様御屋敷と記されています。
元禄三年に往生された開基第一世住職の記録には、満珪山知積院足利寺と銘が記されてあり、 四世往生の後、寛保四年足利円竜寺となっておりました。
現在の圓立寺となった正確な時期は不明ですが、恐らく明治以降だと推察されています。
浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来です。
量り知れない光(無量光)といのち(無量寿)の仏様です。
私たちの苦しみや悲しみを自分の痛みとされ、「あなたを助けます」と行動を起こされた阿弥陀さまは、「不可思議光如来」とも、「無量寿如来」とも申しあげます。
「南無阿弥陀仏」の名号となって来られた阿弥陀さまはあらゆることに尽くされ(尽十方)、どんな悪業にも煩悩にも、何ものにもさまたげられることのない智慧と慈悲の光明をもって(無碍光)、生きとし生けるものすべてを平等に救済下さる仏様です。
ゆえに、「南無阿弥陀仏」の名号を「帰命尽十方無碍光如来」とも申しあげます。
如来さまの慈しみ、思いやりのお心(本願)が私たちを生かす力であり、真実のお心です。
阿弥陀さまに私たちはいのちのすべてをおまかせして、この人生を「おかげさま」「ありがとう」と安心して生き抜くことができるのです(南無、帰命)。
- 宗名
- 浄土真宗
- 宗祖
- 親鸞聖人
ご誕生 1173年5月21日(承安3年4月1日)
ご往生 1263年1月16日(弘長2年11月28日)
- 宗派
- 浄土真宗本願寺派
- 本山
- 西本願寺(龍谷山本願寺)
- 本尊
- 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
- 聖典
- 釈迦如来が説かれた「浄土三部経」
『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』
宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教
『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)
『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』
中興の祖 蓮如上人のお手紙
『御文章』
- 教義
- 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
- 生活
- 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
- 宗門
- この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。